大きなはくちょうのあしもと

趣味の話とか、日常のこととか

2021.02.05 妊娠出産録

過日、第一子を出産しました、の備忘録。
※生々しい話を含むので閲覧は自己責任でお願いします。

・妊娠が分かる(20年6月)
妊娠確定診断をもらうとほぼ同時に体調不良が始まる。
「これが……つわりってやつか……」と思いながらトイレで過ごす時間が長くなる。
家を建てる時にトイレ2個作っておいてよかったと思った。
夫がゼリーやヨーグルト、プリンを買ってきてくれたり、冷やし中華を作ってくれたりした。

仕事も休むことが多くなると判断し、即職場に報告。
年休で足りるなら年休の消化で、足りなければ生理休暇を使おうと方針が決まる。
(年休が残15日ほどあり、かつ非常勤職員ゆえに年休以外だと無給になるため)
業務時間中でも、少し休めばよくなりそうな場合は、休憩室で好きに休んでいいと言ってもらう。
この対応に産休直前まで助けられる。

母子手帳をもらうときや、その後の保健師面談でたびたび
「妊娠が分かった時に嬉しい気持ちはありませんでしたか」と聞かれることに若干の嫌気が差す。

・胎動、貧血が始まる。前期スクリーニングエコーを受ける。(20年8月)
マタニティ用品を身に着け始めたのもこの頃(5か月すぎ)。
言わなければわからないほどの膨れていない腹も、
内側からの感じるものがあったり、服が入らなくなったりする。
初めてスクリーニングエコーで胎児の画像を見たときは「思ったよりも人体」という感想を持つ。
このあたりでやっと「妊娠してるんだなぁ」という実感が湧く。

妊娠したことを伝えると、ほぼ100%性別を聞かれる。
出産するまで病院から教えられないことをお伝えする。

・仕事の引継ぎを始める(20年9月)
4月から入ってきた新人さんに自分の仕事を本格的に移し始める。
人に仕事を教えるという経験がほぼなかったため、かなり苦労する。

・胎動がひどくなる(20年11月)
「最初はポコポコって感じ」という意見を見て気にするようにしていたけれど、
「もしかしてこれが胎動なのでは?」と気づいたのはだいぶあと。
明らかに腹の中で自分以外の生き物が動いている感覚。
もぞもぞ動いたり、腹の内側から美顔ローラーをごりごりとかけられたりするような。
胎動で気持ち悪くなることもしばしば。仕事中にたまに休憩を取らせてもらう。
大きく動いたな、と思うとその後に蹴られる位置が変わっていたりした。
何度か逆子判定を受けるが、最終的には頭位に落ち着く。

仰向けが辛くなってきて、横向きに寝始める。
寝起きは手足のしびれが出て、目覚めから体を起こすまでに時間がかかるようになる。

「(平均の範囲内で)こつぶちゃんですね」と言われたのもこの頃か。
後期スクリーニングエコーで「ひとまず異常なし」と言われ安堵する。

・産休に入る(20年12月)
課内では久しぶりの産休職員との事で、なんか手厚いお見送りを受ける。
小さい花束までもらってしまい動揺する。
クリスマス時期にいったん実家に戻り、年末年始は自宅に戻り、と
同一市内であることをいいことに少し行き来をする。

・正産期に入る(1月)
それまで誰に見せても「あまり分からないね」と言われてきた腹部のふくらみが目立ち始める。
とりあえず早産ではなくなったことにほっとする。
分娩費用を確認し、「頼むから平日昼間に出てこい」と言い聞かせる。
大雪に見舞われ、軽い軟禁生活を送る。

・前駆陣痛
予定日になっても子宮口が1cmしか開かず、友人に勧められた踏み台昇降を行う。
その日の夕方から少し動くのが億劫になる。体調不良のような、腹が重いような。
おしるしが出始める。

翌日夕方からはわずかに腹痛を覚え、早めに就寝。
未明4時ごろから腹痛に断続的に襲われ、念のため陣痛タイマーをつけ始める。
間隔は10~20分で安定しない。
18時前に両親に病院へ連絡するよう促され、とりあえず行くことにする。
様子見のため一日入院。

翌日、子宮口を確認するも2cmしか開いていないこと、
陣痛の感覚がまばらであることを理由に、本陣痛は遠いと判断され、昼前にいったん帰宅。
腹痛は8~15分間隔のまま変化なし。

・本陣痛~分娩
病院から帰宅した日、早めに就寝するもふたたび未明に腹痛に襲われる。
3時半ごろから5~10分間隔になったので、親を起こし、病院に連絡。
本陣痛の疑いとみなされ、病院に行く。

夜明けにいったん陣痛が遠のくが、朝の診療で高位破水が発覚する。
「破水したので生むまで帰れないからね」と言われる。
前日に「本陣痛はまだだろうから一時帰宅」と説明してきたDr.だったため、ちょっと笑う。
ただし、子宮口は2cmどまり。
陣痛の開始時間は病院に電話してきた時間との説明を受ける。

昼前にシャワーを浴びる。食欲はなし。
子宮口が開かない場合は促進剤の投与をすること、
それでも無理であれば帝王切開とすることの説明があり、同意する。

破水し入院となった旨を、親と夫に連絡する。
コロナ対応のため、立会出産はもとより付き添い者の病棟への立ち入りが不可能。
しばらく連絡が取れないだろうと伝える。
(の、割にはたまたまフォロワーがLINEで「出産した?」と連絡をくれたので、
ちょっとだけやりとりをしたりする。)

その後も夜中まで10分以内の感覚で陣痛が続くが、
夜更けのころにいったん遠のき、そのあたりで睡眠をとる。
夜が明けて子宮口が4~5cmの開きになる。

朝起きぬけにまた10分以内の陣痛となるも、その後また間隔があいてしまったため、
9時過ぎに促進剤の投与を受けるところとなる。

時計を確認する余裕がなくなる。
陣痛タイマーは9時で途切れているが、おそらく10時前に分娩室入り。
ベッドの柵にしがみつきながら、数分おきにくる陣痛に耐える。
恐怖心で痛みが増大しているところもあったと思う。
強烈なガスだまり腹痛と便意、どぎつい生理痛のハイブリッドのような痛みに襲われる。
息を吐いても全然痛みは逃げていかないし、深呼吸もできない。叫ぶ声も抑えられない。
助産師さんが「そんなにいきんじゃうと産むまでもたないよ」とアドバイスをくれるが、正直対応のしようがない。
お昼を挟んだため交代で助産師さんが介護をしてくれる。
「叫び声ずっとこんな感じ?」「あ、そうです」という会話が聞こえ、申し訳なくなる。

頭の隅でぼうっと「パラマウントベッドの耐久性すごい……」と思う。

一時間ごと? に血圧と体温、子宮口の開きを確認。
おまけのような10cm判定をもらったところで、助産師さんが「いきんでいいよ」とゴーサイン。
まずは横向きの姿勢でいきむように言われる。「あ、本当に体力なくなっている、やばい」と思う。
しばらくするとわらわらと医師が分娩室に入ってくる。

胎児の頭が見えた? あたりで、仰向けになるように言われる。
分娩台がそれ用にトランスフォーム。

ツイッターでみた「サンシャイン池崎のように目を見開いてへそに向かって息を吐く」は
陣痛段階では効果がないと思った(個人的には)。
あれは分娩のその瞬間に効く。効いた。

というわけで、サンシャイン池崎を心掛けながら、
その一方で麻酔を打つと言われて「会陰切開!」と思い。
頭さえ出てしまえばというのはその通りで、体を出すのはあっという間だった。
あれなんかぬるっと出た? あ、泣き声が聞こえる……あっ胎盤出ますかわかりました……と為されるがまま。

しばらくののち、医師から「会陰切開したんだけど、直腸まで裂けちゃったので縫合しますね」と言われる。
助産師さんが縫合用の糸をICUに取りに行っている間は分娩台で放置。
時間を確認して平日昼間であると気づく。分娩費用が一番かからずに済む。

助産師さんから子の性別と出生体重を聞く。
出生体重は予定日の妊婦検診よりも500g増。
全然「こつぶちゃん」ではなかったことを知る。

裂傷部分の縫合を終えたあと、私の服薬の都合でGCUに向かう子とわずかに触れ合い、
産後2時間を経て分娩室を離れる。
母子手帳に記載の陣痛~分娩時間は35時間40分。

スマホを触れるようになった段階で、夫、実父母、姉、義父母、
前述のフォロワーに連絡。

・入院生活
GCUに入った子については「おそらく大丈夫であろう」と、
その日のうちに担当医から説明を受ける。
GCUの子は特別に面会が許されているので、夫が子と面会する。
翌日GCU退院、母子同室となる。

前駆陣痛も併せるとかかわった助産師さん・看護師さんが多くなったためか、
割と「無事生まれてよかったです」「大丈夫でしたか」等々と声を掛けられる。

直腸裂傷(第4度会陰裂傷)について、担当Dr.がかなり心配をしてくれる。
痛み止めと軟便化の薬を処方される。
腐女子としては受けの尻を大事にしようと思った。心から。

主に授乳のしかたとおむつの替え方等を徹底的にレクチャーされ、約一週間後に退院。
実家に帰り、睡魔にやや負けながら子と向き合う。
ワンオペの友人たちのすごさを思い知る。