大きなはくちょうのあしもと

趣味の話とか、日常のこととか

友人の訃報が届いた話

タイトルの通り。
 
先週、たぶん年一で届く同窓会報をパラパラと見ていたら、訃報欄に友人の名前があった。目を疑ったが、今見返しても友人の名前だし、書いてあるのは訃報欄だし、名前以外の情報も私の友人に一致する。なんだかんだ、届いてから毎日のように確認している。変わらない。
私は全く知らなくて、驚きのあまり共通の友人に電話を掛けたが、やはり知らなかった。
 
私は友人が多くない。たぶん少ない。小学校から高校まで、クラスでできた友人は片手ちょっとで足りる。
人見知りとは違うと思うけれど、少なくとも人に好かれる性格をしていないし、「量より質でしょ」とかすっぱいぶどうをしているところもあるので、まぁ、仕方ない。
彼女は、私の数少ないクラスでできた友人だった。
2年前の私の結婚式にも呼んだ。いや、そんなの一つの見方でしかないけれど。
 
だから、とにかくショックだった。
訃報欄は去年一年間で同窓会事務局に連絡があったものを載せているらしい。もしかしたら彼女がこうなってから、一年以上経っているかもしれない。その間、私は友人だと思っていた彼女がこうなったことを知らなかった。
早生まれの彼女に去年、LINEで誕生日のメッセを送ったけれど、未だに既読になっていない。だから今年は送らなかったんだけど、送っていればもっと早く知ることができていたんだろうか。ツイッターだってリア垢同士でつながっているのだから、ツイートが途絶えた時点で何か別の手段で連絡していれば良かったんだろうか。SNS不精っぽいところあるからなあいつ、そんな考えでスルーしなければよかった。
 
こんなんで友人って言って良いのかわからない。でも、私は彼女のことを友人だと思っている。
知らなかったことが悔しい。こんな方法で知ったことが寂しい。悲しくてたまらない。
私は彼女にとって、なんだったんだろう。
友だちだからなんでも知っていなきゃ、とかは思わないけれど、何か有ったときに何も伝わらないなんて。
 
理由とか、時期とか、全然分からないし、確かめる術もあるのか知らないし、知ったところでそんなものは自己満足でしかない。
私は彼女の訃報が届いて以降も普通に生活をしているし、推しを見れば全然普通に笑って萌えて、ヒイヒイ言いながら仕事もして。
ただ、いまはまだ、ふと頭によぎっては泣いてしまう。知らなかったことを、たぶん、ずっと後悔する。
 
とは言え、正直実感がない。何かの間違いなんじゃないかって思う気持ちも全然あるから困る。
だって同窓会報なんていう馴染みのないものでしか情報がない。
なんかの拍子に「私のこと勝手に殺すなよ」って言われるんじゃないかって思ってしまう。
そんな状況が叶うなら、それはそれで、いいんだけど。