大きなはくちょうのあしもと

趣味の話とか、日常のこととか

2021.02.05 妊娠出産録

過日、第一子を出産しました、の備忘録。
※生々しい話を含むので閲覧は自己責任でお願いします。

・妊娠が分かる(20年6月)
妊娠確定診断をもらうとほぼ同時に体調不良が始まる。
「これが……つわりってやつか……」と思いながらトイレで過ごす時間が長くなる。
家を建てる時にトイレ2個作っておいてよかったと思った。
夫がゼリーやヨーグルト、プリンを買ってきてくれたり、冷やし中華を作ってくれたりした。

仕事も休むことが多くなると判断し、即職場に報告。
年休で足りるなら年休の消化で、足りなければ生理休暇を使おうと方針が決まる。
(年休が残15日ほどあり、かつ非常勤職員ゆえに年休以外だと無給になるため)
業務時間中でも、少し休めばよくなりそうな場合は、休憩室で好きに休んでいいと言ってもらう。
この対応に産休直前まで助けられる。

母子手帳をもらうときや、その後の保健師面談でたびたび
「妊娠が分かった時に嬉しい気持ちはありませんでしたか」と聞かれることに若干の嫌気が差す。

・胎動、貧血が始まる。前期スクリーニングエコーを受ける。(20年8月)
マタニティ用品を身に着け始めたのもこの頃(5か月すぎ)。
言わなければわからないほどの膨れていない腹も、
内側からの感じるものがあったり、服が入らなくなったりする。
初めてスクリーニングエコーで胎児の画像を見たときは「思ったよりも人体」という感想を持つ。
このあたりでやっと「妊娠してるんだなぁ」という実感が湧く。

妊娠したことを伝えると、ほぼ100%性別を聞かれる。
出産するまで病院から教えられないことをお伝えする。

・仕事の引継ぎを始める(20年9月)
4月から入ってきた新人さんに自分の仕事を本格的に移し始める。
人に仕事を教えるという経験がほぼなかったため、かなり苦労する。

・胎動がひどくなる(20年11月)
「最初はポコポコって感じ」という意見を見て気にするようにしていたけれど、
「もしかしてこれが胎動なのでは?」と気づいたのはだいぶあと。
明らかに腹の中で自分以外の生き物が動いている感覚。
もぞもぞ動いたり、腹の内側から美顔ローラーをごりごりとかけられたりするような。
胎動で気持ち悪くなることもしばしば。仕事中にたまに休憩を取らせてもらう。
大きく動いたな、と思うとその後に蹴られる位置が変わっていたりした。
何度か逆子判定を受けるが、最終的には頭位に落ち着く。

仰向けが辛くなってきて、横向きに寝始める。
寝起きは手足のしびれが出て、目覚めから体を起こすまでに時間がかかるようになる。

「(平均の範囲内で)こつぶちゃんですね」と言われたのもこの頃か。
後期スクリーニングエコーで「ひとまず異常なし」と言われ安堵する。

・産休に入る(20年12月)
課内では久しぶりの産休職員との事で、なんか手厚いお見送りを受ける。
小さい花束までもらってしまい動揺する。
クリスマス時期にいったん実家に戻り、年末年始は自宅に戻り、と
同一市内であることをいいことに少し行き来をする。

・正産期に入る(1月)
それまで誰に見せても「あまり分からないね」と言われてきた腹部のふくらみが目立ち始める。
とりあえず早産ではなくなったことにほっとする。
分娩費用を確認し、「頼むから平日昼間に出てこい」と言い聞かせる。
大雪に見舞われ、軽い軟禁生活を送る。

・前駆陣痛
予定日になっても子宮口が1cmしか開かず、友人に勧められた踏み台昇降を行う。
その日の夕方から少し動くのが億劫になる。体調不良のような、腹が重いような。
おしるしが出始める。

翌日夕方からはわずかに腹痛を覚え、早めに就寝。
未明4時ごろから腹痛に断続的に襲われ、念のため陣痛タイマーをつけ始める。
間隔は10~20分で安定しない。
18時前に両親に病院へ連絡するよう促され、とりあえず行くことにする。
様子見のため一日入院。

翌日、子宮口を確認するも2cmしか開いていないこと、
陣痛の感覚がまばらであることを理由に、本陣痛は遠いと判断され、昼前にいったん帰宅。
腹痛は8~15分間隔のまま変化なし。

・本陣痛~分娩
病院から帰宅した日、早めに就寝するもふたたび未明に腹痛に襲われる。
3時半ごろから5~10分間隔になったので、親を起こし、病院に連絡。
本陣痛の疑いとみなされ、病院に行く。

夜明けにいったん陣痛が遠のくが、朝の診療で高位破水が発覚する。
「破水したので生むまで帰れないからね」と言われる。
前日に「本陣痛はまだだろうから一時帰宅」と説明してきたDr.だったため、ちょっと笑う。
ただし、子宮口は2cmどまり。
陣痛の開始時間は病院に電話してきた時間との説明を受ける。

昼前にシャワーを浴びる。食欲はなし。
子宮口が開かない場合は促進剤の投与をすること、
それでも無理であれば帝王切開とすることの説明があり、同意する。

破水し入院となった旨を、親と夫に連絡する。
コロナ対応のため、立会出産はもとより付き添い者の病棟への立ち入りが不可能。
しばらく連絡が取れないだろうと伝える。
(の、割にはたまたまフォロワーがLINEで「出産した?」と連絡をくれたので、
ちょっとだけやりとりをしたりする。)

その後も夜中まで10分以内の感覚で陣痛が続くが、
夜更けのころにいったん遠のき、そのあたりで睡眠をとる。
夜が明けて子宮口が4~5cmの開きになる。

朝起きぬけにまた10分以内の陣痛となるも、その後また間隔があいてしまったため、
9時過ぎに促進剤の投与を受けるところとなる。

時計を確認する余裕がなくなる。
陣痛タイマーは9時で途切れているが、おそらく10時前に分娩室入り。
ベッドの柵にしがみつきながら、数分おきにくる陣痛に耐える。
恐怖心で痛みが増大しているところもあったと思う。
強烈なガスだまり腹痛と便意、どぎつい生理痛のハイブリッドのような痛みに襲われる。
息を吐いても全然痛みは逃げていかないし、深呼吸もできない。叫ぶ声も抑えられない。
助産師さんが「そんなにいきんじゃうと産むまでもたないよ」とアドバイスをくれるが、正直対応のしようがない。
お昼を挟んだため交代で助産師さんが介護をしてくれる。
「叫び声ずっとこんな感じ?」「あ、そうです」という会話が聞こえ、申し訳なくなる。

頭の隅でぼうっと「パラマウントベッドの耐久性すごい……」と思う。

一時間ごと? に血圧と体温、子宮口の開きを確認。
おまけのような10cm判定をもらったところで、助産師さんが「いきんでいいよ」とゴーサイン。
まずは横向きの姿勢でいきむように言われる。「あ、本当に体力なくなっている、やばい」と思う。
しばらくするとわらわらと医師が分娩室に入ってくる。

胎児の頭が見えた? あたりで、仰向けになるように言われる。
分娩台がそれ用にトランスフォーム。

ツイッターでみた「サンシャイン池崎のように目を見開いてへそに向かって息を吐く」は
陣痛段階では効果がないと思った(個人的には)。
あれは分娩のその瞬間に効く。効いた。

というわけで、サンシャイン池崎を心掛けながら、
その一方で麻酔を打つと言われて「会陰切開!」と思い。
頭さえ出てしまえばというのはその通りで、体を出すのはあっという間だった。
あれなんかぬるっと出た? あ、泣き声が聞こえる……あっ胎盤出ますかわかりました……と為されるがまま。

しばらくののち、医師から「会陰切開したんだけど、直腸まで裂けちゃったので縫合しますね」と言われる。
助産師さんが縫合用の糸をICUに取りに行っている間は分娩台で放置。
時間を確認して平日昼間であると気づく。分娩費用が一番かからずに済む。

助産師さんから子の性別と出生体重を聞く。
出生体重は予定日の妊婦検診よりも500g増。
全然「こつぶちゃん」ではなかったことを知る。

裂傷部分の縫合を終えたあと、私の服薬の都合でGCUに向かう子とわずかに触れ合い、
産後2時間を経て分娩室を離れる。
母子手帳に記載の陣痛~分娩時間は35時間40分。

スマホを触れるようになった段階で、夫、実父母、姉、義父母、
前述のフォロワーに連絡。

・入院生活
GCUに入った子については「おそらく大丈夫であろう」と、
その日のうちに担当医から説明を受ける。
GCUの子は特別に面会が許されているので、夫が子と面会する。
翌日GCU退院、母子同室となる。

前駆陣痛も併せるとかかわった助産師さん・看護師さんが多くなったためか、
割と「無事生まれてよかったです」「大丈夫でしたか」等々と声を掛けられる。

直腸裂傷(第4度会陰裂傷)について、担当Dr.がかなり心配をしてくれる。
痛み止めと軟便化の薬を処方される。
腐女子としては受けの尻を大事にしようと思った。心から。

主に授乳のしかたとおむつの替え方等を徹底的にレクチャーされ、約一週間後に退院。
実家に帰り、睡魔にやや負けながら子と向き合う。
ワンオペの友人たちのすごさを思い知る。

友人の訃報が届いた話

タイトルの通り。
 
先週、たぶん年一で届く同窓会報をパラパラと見ていたら、訃報欄に友人の名前があった。目を疑ったが、今見返しても友人の名前だし、書いてあるのは訃報欄だし、名前以外の情報も私の友人に一致する。なんだかんだ、届いてから毎日のように確認している。変わらない。
私は全く知らなくて、驚きのあまり共通の友人に電話を掛けたが、やはり知らなかった。
 
私は友人が多くない。たぶん少ない。小学校から高校まで、クラスでできた友人は片手ちょっとで足りる。
人見知りとは違うと思うけれど、少なくとも人に好かれる性格をしていないし、「量より質でしょ」とかすっぱいぶどうをしているところもあるので、まぁ、仕方ない。
彼女は、私の数少ないクラスでできた友人だった。
2年前の私の結婚式にも呼んだ。いや、そんなの一つの見方でしかないけれど。
 
だから、とにかくショックだった。
訃報欄は去年一年間で同窓会事務局に連絡があったものを載せているらしい。もしかしたら彼女がこうなってから、一年以上経っているかもしれない。その間、私は友人だと思っていた彼女がこうなったことを知らなかった。
早生まれの彼女に去年、LINEで誕生日のメッセを送ったけれど、未だに既読になっていない。だから今年は送らなかったんだけど、送っていればもっと早く知ることができていたんだろうか。ツイッターだってリア垢同士でつながっているのだから、ツイートが途絶えた時点で何か別の手段で連絡していれば良かったんだろうか。SNS不精っぽいところあるからなあいつ、そんな考えでスルーしなければよかった。
 
こんなんで友人って言って良いのかわからない。でも、私は彼女のことを友人だと思っている。
知らなかったことが悔しい。こんな方法で知ったことが寂しい。悲しくてたまらない。
私は彼女にとって、なんだったんだろう。
友だちだからなんでも知っていなきゃ、とかは思わないけれど、何か有ったときに何も伝わらないなんて。
 
理由とか、時期とか、全然分からないし、確かめる術もあるのか知らないし、知ったところでそんなものは自己満足でしかない。
私は彼女の訃報が届いて以降も普通に生活をしているし、推しを見れば全然普通に笑って萌えて、ヒイヒイ言いながら仕事もして。
ただ、いまはまだ、ふと頭によぎっては泣いてしまう。知らなかったことを、たぶん、ずっと後悔する。
 
とは言え、正直実感がない。何かの間違いなんじゃないかって思う気持ちも全然あるから困る。
だって同窓会報なんていう馴染みのないものでしか情報がない。
なんかの拍子に「私のこと勝手に殺すなよ」って言われるんじゃないかって思ってしまう。
そんな状況が叶うなら、それはそれで、いいんだけど。

2019.10.14 ジオウ東京ファイナル

最終回のラストシーンで沼落ちという衝撃の展開から1ヶ月半、

台風に向かって東京に行ってまいりました。

 

 

12日の3公演目と13日のスペシャルのチケットを譲っていただいていたのですが、

周知の通り12日の公演は全て飛びまして、

東京のスペシャル公演が最初で最後のジオウファイナルステージ観劇となりました。

なんて贅沢なんだ。

 

ジオウは一年間見ていて、推しも最初から最後まで変わりませんでしたが、

生で見るのは初めてでした。

(奥野くんと押田くんは龍騎イベントで見ていましたが、役ではなかったので)

 

生の彼らは、本当に格好良かった。

ウォズ推しは死ぬと言われていたので、

覚悟していきましたが、まったくその甲斐もなく、

心の中で暴れまわりながらキャラクターショーを見終えました。

あんなに格好いいなんて聞いていない……。

 

休憩中にひたすらツイートしたものをあとから見直したら

「死ぬ」「無理」「吐く」しか言ってなくて笑いました。

もうちょっとまともな感想言えないのか。言えませんでした。

 

そもそもジオウに沼落ちしたのも、

OQのウォズでだいぶやられていたのもあったのですが、

本編最終回のラストシーンのウォズにあまりにも胸を締め付けられて

「このキャラの存在の尊さをなんと表現したら良いのかわからない」

と思ったのが決定打でした。

だからファイナルステージのウォズは、あの、なんだ!!!!!?????

理解の範疇を超えました。最高でした。

 

キャストトークは生瀬さんと佐久間くんがいらしたのが本当に驚きでした。

その分、司会の話の回し方の雑さが残念でしたが……。

ジオウキャストは本当に真面目で、話がとっちらかることも少ないし、

仲の良いクラスメイト、そして学校、という感じがします。

(エグゼイドは学校というか「部活」だった)

 

最後の挨拶も、去年のビルドキャストは

話したいことを伝えるというのがしっかりしていましたが、

今年のジオウキャストもしかりで。

私としては、キャストが「ゼロワンを、仮面ライダーシリーズをよろしく」と言い、

「ジオウを忘れないで」に終始しなかったことがよかったと思いました。

これは私の現最推しができなかったことだったので、余計に。

アニバーサリー作品というのはそれだけ背負うものも大きいものだと思いますが、

視野もそれだけ広くなるのだと思います。

 

素敵なファイナルステージでした。一年間ありがとう。

ゼロワンも楽しく見ていきます。令ジェネも楽しみです。

 

 

 

 

 

ところで、私はウォズが好きなのはわかっていたんですけど、

役者にまで落ちているのかどうか判別ができなくて、

それを確かめられたらいいなー、なんて思っていたんですけど。

やっぱり良くわかりませんでした。

でも演技も歌もトークも最高だったし、

「やーべいまあぶなかった」は私がもうだめです。

 

【ジオウ夏劇】あるいはレンアイダーの幻視

※本記事は7/26に公開された「仮面ライダージオウ Over Quartzer」のネタバレを含みます。




仮面ライダーGのガワ(変身後)が登場した。
残念ながら声はアーカイブでも無かった(と思う*1)。
しかし、単発特別番組*2の1コーナーの「仮面ライダー」が、
こうして公式の映画に出ることなど、夢にも思わなかった。

活躍はさほど多くはない。
しかし、漫画版クウガや、舞台斬月カチドキと並んで、
怪人と戦い、ビルの窓にGの文字を刻み付けた。
それだけでもう充分だ。

テレビ朝日の番組であり、当時の東映全面協力のもとで作ったとは言え、
そうであるからこそ権利関係は少々面倒であると聞く*3
それでも、「平成時代における仮面ライダー」の、
そのコンテンツの広がりの一部として認められたようで、
SMAPのファンとしても、そしてにわかニチアサファンとしても
非常に胸に込み上げるものがあった。

東映テレビ朝日には感謝しかない。
Gを出してくれて、ありがとうございました。

話を聞き付けたSMAPファンの方が見に行くと言っているのをチラホラ見る。
決して過度な期待はしないでほしい。
登場時間は多分「分」どころか「秒」だし、生身が出るわけでもない。
テレビ放送の「仮面ライダージオウ」を見ていないと
正直何が何だか分からないところあると思う*4
ただ、映画全編を見て、その「祝祭」気分を感じ、
仮面ライダーって面白いんだな」と思っていただければ幸い。
ちょうど9/1から新しい仮面ライダーも始まるので、
これを機会に「ニチアサ」というコンテンツに触れてみてほしい。
きっと、世界が広がるはずだから。

*1:というか声あった?

*2:09年放送の「SMAPがんばりますっ!」

*3:まして、変身前のひとがその……色々あったので……

*4:まぁ、見ていても分かんねえところあるんだけど

2018.03.13

こたつやストーブをつけている時間が短くなって来て、カーテンを開けている時間が長くなって、あーもうすぐ春なんだな―と思う。

そうよねぇ、3月だってもう半分終わるんだもんね。

持病的にあまり好きな季節ではないし、焦燥感とかなんかいろいろ思い出す余計なものとか有るけれど、

春になっていくこと自体は、悪いことではないよなぁと思う。

 

眠い。

2018.01.18

活字が読めなくなっていた。

 

というと大袈裟かもしれないなと思いますが、

ちょっと冗談抜きに活字が読めなくなっていました。

 

先日久しぶりに地元の博物館に行きまして、

ついでにボランティアルームで広報誌も読んできたのですが、

いや~~~内容が何にも頭に入ってきませんでしたわ。

え、嘘やん。ってレベルで。

まぁ、広報誌とは言えちょっと専門的な内容も入るし

そんな文章にはとんと触れていませんでしたから、

当然といえば当然なのかもしれませんが。でも結構ショックだった。

 

SNSで毎日のようにBL読んでいるから、

文章読むこと自体はそんなに苦ではない……と思っていたんですけれども、

やっぱりプロとアマの違いとか、媒体の違いとか、大きいんでしょうかねぇ。

 

積読引っ張り出す…?10年前の恩田陸とかになるよ?

図書館遠いしなぁ。実家に居た頃よりは県図書が近いはずだけど。

とかいいながらこうやってPC向かっちゃうんですよね~~~知ってる。

固い文章も随分と書いてないな。もう書けないんだろうな。

就職までには少しでも活字を読む能力が戻っているといいな。

 

そういえば今日はあの1.18から2年ですね!タイトル打って気付いた!しんどい!

2017.12.22 去年から今年のことなど

SMAPとエグゼイドの話になるのだと思います。

 

気が付けば今年も残り10日ほどとなりました。

ここ半年も放置してたってさ! ウケる。いや笑うべきことなんて無いけど。

書くことが無いわけじゃなくて、書く気も無かったというよりは、

書くということが選択肢になかったって感じです。

最近はツイッターに常駐してしまって、ツイ廃極まれりですね。

その割にはフォロワーさんの呟き見逃して、

4日後に「あああああ!」って反応してたりしましたが。今日のことです。

 

SMAPが解散して迎えた2017年。

今年の始まりはサムガで号泣したままの気持ちだったんじゃないかと思います。

2017年なんて来るなと思っていました。

2017年なんて生きていけないと思っていました。

全然生きてましたね。そんなもんなんですね。

 

オタク経費が減るかと思ったら全然そんなことはありませんでした。

週間テレビガイド*1の定期購読代は、そのままTTFC*2の月会費(960円)に移りました。

その余りとジャニウェブの月額324円は、

研音*3(月額324円)とプラチナJUNON*4(月額324円)に移行しました。

減ってないどころか増えているのではないか。私もそう思います*5

スマップのFC会費くらいは…と思ったら、

これはすんなり新しい地図のFC会費になりましたね。ちょっと増えたけど。

年明けには男劇団青山表参道X*6のFCできるらしいし。マジか。

 

プライベートでは3月に退職、4月に入籍して、11月に結婚式を挙げました。

今はのんびりと就活的な何かをしています。

 

ひとりの時間が増えるかと思いきや、実家では夜も一人の時間が多かったのに、

二人暮らしを始めてからはそうも行かず、

デレステの協力ライブがフォロワーさんとはなかなかできなくなってしまいました。

ちょっとデレステ離れ気味なのが自分でも寂しいので、

何かドカンと一発、もう一度近付けるような機会が有ればいいなと思っています。

いや、昼間のツイッター見る時間減らせばいいだけの話なんですけど。

 

遠征はエグゼイド関係が3回と、デレステ関係が1回。

いやSMAPよりも全然追いかけてますね。どうしたものかな。

多ステとか全く理解できない人種だったんですけど、

理解できるようになってしまいました。本当にごめんなさい*7

一回のチケット代が違うというのも大きいですが。

 

悲しいかな、SMAPの件があってから「会える時に会っておかないと!」という、

ある種の強迫観念みたいなものが出来てしまったんですよね。

会いたいと思った時にはもう会う機会は二度とないかもしれない。

特撮はもともとヒーローで居てくれるのが一年という縛りがありますが、

それもいつどうなるか分かりませんし。

 

(「いや、SMAP会えるじゃん」って思う方いるかもしれませんが、

私が会いたいのはSMAPであって個人ではないです。悪しからず。)

 

デレステ5thはRtBを見に行ったようなものでしたが、いや~~~良かったですねぇ。

久しぶりにアイドルの現場に行ったような気がしました。

去年の10月にはライビュを見に行きましたが、生の現場がいいと思った次第です。

 

 

SMAPがなくなる、ということが本当に怖くて。

何か趣味を、好きなものを見つけなければ、と思ったときに、

たどり着いたのがエグゼイドでした。

もともとニチアサは出たり入ったりしていて馴染みもあったのと、

8月以降に探し始めたので、10月に始まるエグゼイドは良いタイミングで。

 

1話はまぁ面白かったかな、という気持ちで、

見続けていくうちに九条貴利矢という推しも出来て。

貴利矢がいればSMAPがいない年もなんとか迎えられるかな~なんて思っていたら、

SMAPどころかスマスマよりも先にいなくなりましたけどね!!!!!!!!!*8

 

まぁ、貴利矢が劇中から消えても、

大好きな龍騎の王蛇が復活することになったり*9

同じく龍騎ゾルダが復活することになったり*10

貴利矢もなんだかんだで復活して*11

何よりエグゼイドという沼に頭の天辺まで浸かって*12

結局ニチアサに戻ることが運命づけられていたのかなと思います。

 

8月にエグゼイドが終わってからは、

一ヶ月もしないうちに新しい地図が発足が告知されました。

正直メンバー個人の活動を今年に入ってから全然追っていないので、

本当、指先でタップするくらいの活動しかしていないのですけれど、*13

それでもあの日の朝は凄く嬉しくて号泣したのを覚えています。

 

もちろん、5人で活動してほしい気持ちはずっとあるし、*14

一方でそれが簡単にできるものではないとも思っています。

それでも、新しい地図組にはどうしてもSMAPが垣間見えることがあります。

全ての活動を納得して受け入れているわけでもありませんが*15

そういう、ほのかに見えるSMAP性を信じて応援していこうと思っています。

応援できる基盤があることが、何よりありがたいことですし。

 

そう言えば、そんななかで、エグゼイドの考察ツイートを良く流している方が

新しい地図のFCに入会します!」という旨をツイートしてくれたときは、

本当に嬉しかったです。めっちゃ個人的に。思わずリプしたくらい。

自分の好きなものふたつを、同じように好きになってくれたり、

そこまでいかずとも気にかけてくれたりしてくれる人がいるというのは、

なんでこんなに嬉しいんだろうと思いました。

とんでもなく語彙が無いですが、「尊い」って感じ。

 

来年はエグゼイドのVシネがあって、

いよいよ1年近く私を支えて楽しませてくれたエグゼイドも終わっちゃうわけですが、

そのあとも何か色々楽しめるものを時々で見つけて、

充実したオタ生活を送れればいいなと思っています。

新しい地図も、っていうかあの3人を未だにどう呼べば良いのか正直分かりませんが、

何かアイドル的な、歌って躍るような楽しい出来事があるといいな*16

*1:スマスマの連載が有りました。

*2:東映特撮が多数見られる公式動画配信サイト。

*3:瀬戸利樹さん目当て。

*4:飯島寛騎さん目当て。

*5:本当はトプコとLDHも気になっている、しかしここら辺で自制しておかないとまずい。

*6:オスカープロモーション若手俳優の集まり。飯島寛騎さんをよろしくお願いします。

*7:エグゼイドファイナルとても楽しかったです。

*8:スマスマの最終放映日は12.26。劇中で貴利矢が消滅したのが12.25。ひとり入院先のベッドで見ていた私の身にもなってほしい。あのとんでもねぇクリスマスからもうすぐ1年ですね。

*9:TTFC製作のスピンオフにて。

*10:2017年の春映画。

*11:春映画・ゴライダー・裏技、そして本編。

*12:18話でした。

*13:プロフィールもSMAPファンからチャノスマにしちゃった。

*14:私が箱推しであると自認している理由でもあります

*15:気に食わない企画もあるので、そこは。

*16:もちろん、一番期待しているのは5人組になることですが、まだまだ厳しいな~……

2017.06.25 手帳をもらった話

※趣味の話ではなく自分の話です

※いわゆる「メンヘラ」による自分語りです

※読後の苦情は受け付けません

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先日、手帳の申請認定の通知が届きました。

精神障害者保健福祉手帳の2級、とのことでした。

思ったよりも等級が上だったな、というのが第一印象*1

 

判定基準は以下のページの通りです。

精神障害者保健福祉手帳の障害等級の判定基準について(全文)*2

精神障害者保健福祉手帳の障害等級の判定基準についての一部改訂について*3

 

私は通院し始めて…ちょうど3年位ですか。

2014年の6月に通院を始め、途中勝手に服用をやめたり*4、医者を変えたりしながら、治療を続けてきました。

 最初はうつ病の診断だったのですが、休職中にうっかりSMAPのコンサート*5に行ったことから、

もしかして双極性障害じゃないの? と言われ、今は双極性Ⅱ型障害ということで診断されています。

 

うつ状態のときは、まぁそれなりに酷い感じでしたが、

普段は全然普通にヲタ活したり、ストレスのかかる状態でなければちゃんと仕事にも行けていたし、

友人と遊んだり、ごくごく一般的な生活を送れています。

 

ので、2級取れちゃった、というのは、正直ちょっとショックが大きかったです。

勿論、それが適切な判定なのでしょうし、改訂要項の別添2「障害等級の基本的なとらえ方」を読むと、

確かに2級かも……とか今更ながらに思ったのですけれども*6

 

経過を書こうとするとなんか身バレしそうだったのでやめますが、

あまりよろしくない社会人生活を送ってきました。

社会人生活丸4年で、転職2回、休職・療養期間が合計約8ヶ月。

仕事に行っていても単純作業だけをさせてもらっていた時期が半年以上。

大学の同期と比べて社会人経験が劣っているのではないか。そんな考えが拭えずにいます。今ニートだし。

すべてを病気のせいにして良いものだろうかとも思います。

 

それでも、手帳を申請し、判定を受けて、それを手にして、

そういう自分を認めていかなければいけないのかな、と思いました。

現実を突きつけられたというのかな。

通知が届いたのが実は誕生日で、「私の27歳はこれから始まるのか」とものすごく複雑な気分になりました。

複雑……悲しいというか、切ないというか、自己嫌悪に陥ったり。でも就活の面では少しホッとしたりもして。

自分の意思での申請したというのに、その取扱いが分からないんですよね。

次のカウンセリングで話してこようとは思いますけれど。

 

SMAPが居てくれたらなぁ、と思うのです。

最初にうつ状態を発症したときには、27時間テレビとスマコンを目標にして、

あるいはそれを見たことがエネルギーとなって、

「未来」というものを見続けることができました。

昨年の夏に療養休暇を取ったときは、ちょうど8月事変がありましたが、

彼らも歯を食いしばっているのだろうと思って、自分も生きようと思いました。

今の私は、デレステ関連のことが楽しくて、特撮関係も満喫していて、今年の春には入籍もして、

家族や友人や趣味や、とにかくいろんな人やものに寄りかかっているなと思います。

それでも、やはり個人じゃなくて「SMAP」がほしいなぁ、と感じるのです。

もしSMAPが変わらずにあったなら、今の私を、どう支えてくれたのだろう。

――たらればを語っても仕方がないのだろうけれど。

 

SMAPのいない世界で、この病気とどう向き合っていくのか。

この手帳の交付が、自分の足元、というか立ち方を再考するきっかけになるのかなぁ、と思っています。

 

*1:却下か3級かなぁ、と思っていた。

*2:20170625閲覧。

*3:20170625閲覧。

*4:今はとても真面目に飲んでいます。

*5:2015.1.11のナゴヤドーム

*6:でも区役所へ手帳を取りに行ったときに窓口のお姉さんと話したときにも、向こうは「あれ、意外と軽め?」みたいな反応だった。言われてはないけれど。

2017.05.30 デレマス5th石川day1

やばかった。何があれってやばかったです。

完全に語彙を失っているやつ。

 

というわけで5th「Serendipity Parade」、27日の石川公演現地参戦してきました。

詳しい感想は色んな人がツイッターにあげているので、

もうそれで良いんじゃないかと思います。

私の席からはよく見えなかったし、

そもそも私の視力もかろうじて車が運転できるくらいしかないので、

それよりはきっと他の方のレポが詳細でしょう。

あと途中でペンライトの電池が切れてしまってわたわたしてしまった。

 

個人的な覚えている範囲で言うと、

「なつきち!」「だりー!」って言っていたRtBが尊かったとか、

きよのさんがちゃんとレフティーでエアギターやってたっぽいとか、

ホテムンの前がめちゃくちゃスマコンだったとか、それくらいです。

でも音響があまりよくなかったので(音量が大きいからか?音割れがひどかった)、

あのへんが改善されるといいですね。みたいな。

そうだ、おそろいのイヤリングで爆死したのはRtBPならば当然かと。

 

去年のLV参戦でも思ったけど、やっぱりライブって良いですね。

好きな人に会える、あこがれのひとが目の前にいることの価値ですよ。

なんて素晴らしいんだろう。なんて素敵なことなんだろう。

LVだと画面を通してしまうけれど、それでも一体感を楽しめるのは素晴らしいことです。

 

私はどうしてもRtBのJttFが生で聞きたくてチケットを取りました。

本当に聞けてよかった。オリジナルメンバーで、オリジナルの楽曲を歌える、

それがファンとして聞ける。とても稀有なことです。

そういう奇跡みたいな瞬間を体感できたのが、とても嬉しい。

アイドルはこうでなくっちゃ。アイドルには「君を笑顔に変える」存在でいてほしい。

 

アイドルを演じる声優さんをアイドル扱いして良いのかは、

きっとセンシティブな部分なのだろうかとは思いますが、

個人的には、目の前にいた彼らはアイドルだったと思います。

言葉にできない、個人的な実感でしか無いけれど。

 

はー!静岡かさいたまのLV行きてえな!

 

以下は公演後のつぶやきです。

 

2017.05.12 好きなものを愛せない

SMAP」と私の話。

 

最近SMAPの載った雑誌をめっきり買わなくなりました。

散財の方向は完全に仮面ライダーに向いています。

書店に立ち寄るのも仮面ライダー関係が中心なので、

テレライチェックして、JUNON*1チェックして、

duetチェックして、ホビーコーナーチェックして、

その流れの中で週・月刊テレビ雑誌や映画・演劇雑誌をチェックするような形です。

 

そんな感じで、この4ヶ月は過ぎていきました。

 

もともと雑誌は結構シビアに選別して買っていましたが、

それでも去年までは、「SMAP」という形があったときは、

まだ結構買っていたような気がします。

趣味費、SMAPだけで手一杯だったもの。

たとえメンバーが一緒に写っていなくても、

雑誌一冊に付き載っているのがひとりでも、

「あ、SMAP載ってる」と思えて、インタビューの内容やグラビアを見比べては、

最後まで迷ったらどっちも買うか、とレジに運んだものでした。

 

 

要因はいろいろとあるのかもしれません。

私自身もまだ、はっきりとは分かっていません。

 

ひとつは、年が明けて、5人バラバラに掲載された雑誌を見た時、

手にとって、グラビア見て記事を読んで、結局買えなかった。

「あぁ、こいつらもうSMAPじゃねぇんだな」と思ってしまった。

じゃぁお前らなんなんだよ、誰なんだよって、分からなくなってしまった。

 

私は今年で27歳になります。

彼らをはっきりと認識したのは、96年の森くん脱退の頃です。

私が彼らを知ったときから、彼らはずっとSMAPでした。

ドラマに出ていても、バラエティに出ていても、彼らはずっとSMAPでした。

個人の仕事をして、そこで得たことを何倍にもして還元するためのホームが有った。

私は、そのホームが何よりも好きです。今でも。

 

だからこそ、雑誌の購入を躊躇う自分の気持ちに戸惑っています。

好きなはずなのに、自担がいなくても買っていたはずなのに、

自担が載っていても買うことを躊躇してしまう。

 

 

もうひとつは、ラジオでメンバーのひとりが言った「いい顔していない」という発言。

これは3月中旬のラジオでの発言です。

私は彼のラジオ(…というか、話し方というか)に苦手意識が有るので、

ツイッターのTLをに流れてくる書き起こしを読んでいるのですが、

この発言を読んだ時の衝撃はかなりのものでした。

それは彼だけが感じているものなのだろうか、

それともほかのメンバーもそうなのだろうか。

それはファンの側にも、私にも分かるくらいの違いなのだろうか。

今年に入ってからのことなのか、それとも去年からずっとそうだったのか。

「最近」って、いつのことだろう。

 

彼は自身のテレビを見て気付いた、と言っていましたが、

改めて本屋に行って、彼のグラビアを見たとき、

私は雑誌でも同じことが言えるのかな、と思いました。

 

良い顔してるかどうかは分からなかったけど、お前全然笑ってねぇな。

笑わないってコンセプトなの? ここ笑ってもいい写真じゃねぇの?

カメラマンの要望なの? まぁ、それなら仕方ないけれど。

何冊か雑誌出ているなら、一つくらい自然に笑っていてもいいんじゃないかな。

バラエティの宣伝なんだからさ。

今はもう、そんなことはなく、

笑っている写真が(テレビ番組収録のスナップ以外で)あるかもしれないけれど。

 

キティちゃん理論で、私がそういう気持ちでグラビアを見ているから、

あるいはテレビを見ているから、そういう風に見えるのかもしれない。

彼だってそうだったのかもしれない。

けれど、どうにもその言葉が彼らが掲載された雑誌を見るたびによぎってしまう。

 

 

ファンでいるはずなのに難儀なことだなぁ、というのが現在の心境です。

形がなくなっても、何のためらいもなく個人の仕事を応援していけると思っていた。

少なくとも自担については問題ないだろうと思っていた。なんなんだ、このザマは。

 

一般の人よりは、今でもSMAPのメンバーが好きだと思います。

「ファン」だと思います。

ドラマだってバラエティだって、面白そうだなと思ったら見る*2

この間のあさイチなんて部分的に書き起こししてしまうくらい楽しかった。

それでも、何か引っかかりを覚えてしまう。

 

この状態がいつまで続くのだろうと思うと、不安です。

来るか分からない再結成の日までか、

それとも自然にまた見られるようになっていくのか、

あるいはそのまま離れてしまうのか。

いずれにせよ、今は慎重に彼らと自分の距離を測っていくしかないのかもしれません。

付かず離れず、寂しさや辛さが最小限に抑えられる距離を。

 

 

最後は、寝言みたいなもので。

この間のスマステは、ふたりとも「いい顔」をしていたと思うのです。

そしてあそこには、私が追い求めているSMAPが、居たような気がしたのです。

幻想かもしれないし、ほかのメンバーとの絡みの可能性を思うと、

暗澹たる気持ちになるのは免れ得ないのだけれど。

 

*1:JUNONって本当にジャニーズいないのね

*2:もともとそういうスタンスです