2016.08.15 扉としてのSMAP
どうしてこんなつらい思いをしなければならないのだろう。
私にとってSMAPは「扉」である。
今の自分の世界と、知らない世界を繋ぐ「扉」である。
スマスマに来てくれたから、私はレディー・ガガの楽曲に興味を持った。
同様にして、backnumberにも興味を持った。
中居さんが名前を出したから、『葉桜の季節に君を想うということ』を買った。
中居さんが好きだから、水族館に行くようになった。
香取さんが主演だから大河ドラマを見て、歴史にはまり、
大学で日本近世史を専攻し、学芸員資格を取得した。
旅行の目的は、SMAPのメンバーが出演したドラマや映画のロケ地を見るため。
舞台やコンサートにいくため。スマヲタさんに会いに行くため。
勿論その道中は、SMAPの音楽を連れとして。
SMAPがいなければ、私はTポイントカードを作らなかっただろう。
書店に定期購読を頼むなんてこともしなかっただろう。
振込用紙の使い方だって知らなかったかもしれない。
私は今でも内向的で世間知らずだ。それでも、SMAPがだいぶ改善してくれた。
こんな世界も有るよ、社会人としてこんなこともできたらいいね。
そうやって外への扉の役割を果たしてくれるのが、わたしにとってのSMAPだ。
それはきっと、これからも変わらない。SMAPが続けば、の話だけれども。
SMAPを守るなんて、そんな身の程しらずのセリフは言えない。
そんな力を持ち合わせていない。
日本の財産だなんて、他のエンタメもろくに知らないのに、そんなことは言えない。
それでも、わたしにとってSMAPがかけがえのない存在であることは変わりない。
SMAPのためではない。わたしのためだ。わたしのエゴだ。
それで何が悪いというのか。物分りの良い人間であることは、義務ではない。
12/31の解散は逃れ得ないかもしれない。
だからと言って、座して死を待つだけの「お人形」にはなりたくない。
わたしは、わたしの「扉」を守るために「愛するやり方」で戦い続けたい。
少なくとも、本人から納得できる形で納得できる言葉を奪取するまでは。